22:30:10 明治4年長浜-敦賀イギ...

明治4年長浜-敦賀イギリス人技師らによる測量開始。明治6年大津-米原-木之本-飯浦-塩津-敦賀が基本路線。国の予算が乏しいため、明治12年ルートが長浜-柳ヶ瀬-敦賀に変更され、長浜-大津間は琵琶湖の汽船連絡と決まり、翌年4月から長浜敦賀の両方向から、日本人だけの手による工事がはじまりました。柳ヶ瀬トンネルは2年後明治17年完成し全通。陸蒸気の運転は一日二往復、急勾配線用として特別にイギリスで製造された機関車で、客車と貨車の混結で平均8両編成。客車はマッチ箱と言われた30人乗りで、運びきれないほどの客があったそうです。長浜-敦賀間の運賃は40銭。日本酒1.8lが5銭の時代。東海道線新橋-神戸間は明治22年に全通。長浜-大津の鉄道連絡船明治22年に廃止されました。